小野花匠園ストーリー

1.黄色い花がくれた一筋の希望

東日本大震災の様子

2011年3月11日、東日本大震災。南三陸町も壊滅的な被害を受けました。その日からしばらくは、家族・親戚・ 友人を探すのに精いっぱいの日々でした。それから10日くらいが過ぎたある日、ハウスをのぞいてみました。そこには、 震災後の混乱で植えたことすら忘れていたトマトが黄色い花を咲かせていました。水も与えられず葉も枯れていく中で、寒さに耐えながら必死で黄色い花を咲かせ生きようとしているトマト。その黄色い花を見た時、これは自分たちと同じではないか ! とハッとさせられました。震災後、自分の気持ちの中に「前に進みたい」「進まなくてはならない」という強 い想いが、はじめて芽生えた瞬間でした。

東日本大震災後のトマトの様子

それからです。雪がチラつきライフラインはもちろん全て停止した中、寒さをしのいでもらおうとビニールのトンネルをかけ、渇ききった土に川から汲み上げて水を与え、仲間たちの力を総動員して全て手作業で行いました。普段は摂氏10度を保たなくてはならない「温室育ちの代表格」であるトマトが、摂氏0度の中でも生きようとしていたその生命力。

東日本大震災後のトマトの様子2

震災直後、そのトマトに咲く黄色い花がくれた生きる希望。だから、このトマトには「美味しさ」だけじゃない「特別な想い」もたくさん詰まっています。 生きる勇気を与えてくれた黄色い花になるミラクルトマトをぜひご賞味ください。

2.農業で「雇用」の花を咲かせる決意

ミラクルトマト

震災後、自分に何が出来るのか、ものすごく考えました。たどりついたのが、残された農地を利用し仕事を失くした人達が働ける場を作りだしたい、という想 い。一人雇用出来れば、その先にいる大切な家族が、そして、また一人増えれば またその家族が、少しずつ安心して暮らせるようになる、そんな想いでした。

小野花匠園の様子

そのためには、今までとは違う取り組みが必要でした。まずはミラクルトマト のネット販売に着手し、温かいお客様や大切な人たちの協力をいただき無事 販売までこぎつけました。通年安定雇用には年間の安定収入確保も不可欠なテーマです。夏まではトマト、夏から秋までは菊、冬は菊の花束加工というふうに年間の生産、加工、販売体制を構築しました。そして南三陸から気仙沼にかけての国道45号線沿いのコンビニ、 スーパー全て一軒一軒の店を回り、今では登米市、石巻、仙台全域まで販路拡大できました。そして震災から11カ月後、株式会社小野花匠園を設立しました。

トマトの収穫の様子

そこに咲いた花は社員9名、パート11名。農業未経験者や働ける場所を失った高齢者の方に加え、今年の4月には農業をやりたいという20歳の若い2人が入社しました。トマトの黄色い花を見て思った「前に進みたい」という想いをずっと持ち続け、今後も南三陸町に雇用という綺麗な黄色い花を咲かせ続けれるように日々努力していきたい。出来ないことは何もない。やるか。やらないか。ただそれだけです。